38歳ゲイリーマンのサバイバル

この記録がいつか自分自身の・誰かの道標になりますように

【資産運用】HSBCの投資信託 India Fixed Incomeの分配金

HSBCで買っている投資信託(Unit Trust)商品の一つにIndia Fixed Income(u62902)というものがある。目論見書によれば高利回りのインド国債で運用しているだけあって分配金利回り5%前後となかなか良い商品だ。

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今回、その1月分分配金が入ってきた。イェーイ!と思ったんだけど、

 

11月:USD 46.66

12月:USD 45.99

1月:  USD 39.15 <--NEW!!

 

なんだかずいぶんと減った。この分配金の減少はどこからきたものなのだろう?インド国債利回りを見ると1年前に比べれば利回りは下がり債券価格はずいぶん上がってる。でも、1か月前との比較では同水準だし、ここまで下がる理由が分からない。債券の世界はよく分からない・・・。誰か教えて下さい・・・。

 

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【資産運用】FOLIO ROBO PRO 3ヵ月のロボアド運用状況

2020年10月からFOLIO ROBO PROでの運用を行っているのでその報告を。

 

このFOLIO ROBO PRO投信のすごい所は「AIによる毎月のリバランスにより常に最適なポートフォリオの実現を目指す」点にあるということで、確かにそれはすごいと思った。過去形です。FOLIOの公式ウェブサイトでは以下のようにTOPIXを上回るパフォーマンスを喧伝していたので、飛びついてしまった。米国大統領選挙やコロナの波乱をどうAIが判断し切り抜けるのかにも興味があったし。

 

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この「リバランス」こそがROBO PROの本丸。10月に購入した時は金のETF(GLD)が全体の4割以上を占めていた。大統領選前後の波乱含みな相場を反映してのものだろう。それが21年1月になると新興国株が5割を占める一方、金は18%程度にまで減らされている。確かにすごいリバランスだ。

 

◆2020年10月のポートフォリオ ※うる覚え

金(GLD) 約45%

現金(CASH)約20%

 

◆2021年1月のポートフォリオ
新興国株(VWO) 50.27%

金(GLD)     18.02%

ハイイールド債(HYG)14.86%

米国株(VTI)   14.81%

現金(CASH)   2.04%

 

そして、学習を重ねたAIがどれだけのパフォーマンスをあげるのか楽しみにしていたが、結果としては以下のようになった。

 

◆運用中の資産について

購入額:1,000,000円(2020年10月15日)

評価額:1,038,834円(2021年1月10日)

通算損益:38,149(3.8%)

 

3か月で運用成績3.8%、年率にすると15%…なんて考えると悪くないように思えるが、この3か月間にTOPIXは13.7%上昇している。まして更に好調だった日経平均やS&P500, NASDAQ等のINDEXとはもはや比較にならない。残念ながら僕が投資した10月からの3か月間だけで見ればROBO PROは散々な結果だったと言わざるを得ない。

 

◆2020年10月15日から1月10日の推移

TOPIX

1,632 ->1,855(+13.7%)

 

・ROBO PRO

1,000,000->1,038,149(+3.8%)

 

 このまま持ち続けるか?答えは否。「セカンドオピニオンを与えてくれる」点は勉強になるけど、①パフォーマンスが市場に劣後しているんじゃ意味がない。そもそも短期的な利益追求を目指す、と言っているのに短期的な利益すら出せていないのだ。さらに②納得感がない。自分で選んだ銘柄が振るわないのは自分の責任だ。じゃあROBO PROに託した場合は?もちろんROBO PROに託した自分の責任だ。でも、なんかしっくりこない。だって金払って運用してもらってるのに!と、こういう風に思ってしまう僕みたいな人は、ロボアドには向かない人なのだと思う。見切りつけて売ることにした。投資は楽しく!

 

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【書評】『民主主義とは何か』(宇野重規)

【書評】『民主主義とは何か』(宇野重規

 

政治思想史の大家が記した現代民主制が直面する問題を掘り下げた一冊。民主主義とは「参加と責任のシステム」であると定義し、古代ギリシアから今に至るまでの民主主義の議論の変遷を扱うのだが、合わせてコロナで露見した「民主主義の危機」をどう乗り越えていくかという副題も込められている(と僕はとらえている)。

 

例えば欧米の民主主義国家より私権やプライバシーを制限し強力な国家権力を動員できる中国の方がコロナを効果的に抑え込めているという主張。直近では、大統領選の結果を認めないトランプ大統領が煽動した群衆が連邦議会になだれ込む事件を見て「あれが民主主義国家だよ」という中国の嘲笑。コロナ危機が民主主義の不完全さを露見させたことは確かだが、不完全だからといって瓦解するものでもないし、危機は乗り越えてゆけるものだと僕は強く思う。この本はその理論的支柱を僕に与えてくれた。

 

その根拠は、民主主義はその政治参加の拡大によって人々の当事者意識を高め、多様なアイディアの表出を許し、誤った決定を自己修正しながらより良き決定を導き出すプロセスだ、というものだ。短期的には独裁的手法の方が効率に物事を進められる可能性はあるが、長期的にはその多様性を許容するからこそ可能になる納得感のある合意形成が勝る。多様性を認めない独裁的な意思決定は、誤った選択肢の修正を困難にするし、結果責任を負わない政治家は淘汰される。今のように情報が国家の枠を超えて行き来する世界では猶更だ。

 

ただ、この本、独裁国家がなぜ躓くのかまでは踏み込んでいない。まあ、民主主義が果たす役割や危機は乗り越えられる、という信念は感じることができたからいいとしよう。

 

ちなみに政治思想史の授業が展開される中盤は自分にとって退屈だったが、面白いのは後半だ。多様な人間によって生み出される複数性を前提にした諸個人の言葉の交わりが自由で公共的な空間を創出するというアーレントの主張は「現代とギリシアが交わる」結節点を作り出している。民主主義の原点であるアテナイの政治空間を現代に取り戻そうとする試みだったのだ。政治学の授業で聞いた「政治とは希少資源の権威的配分」なんて定義を今でもよく覚えているが、アーレントの方がゲイの俺にもしっくりくる。

 

ロールズの『正義論』も、異なる価値観を持つ各員が合意しうる妥当な政治社会を作っていくための思想的基礎である、と読み解かれている。「無知のヴェール」論は福祉国家・再分配を擁護する根拠ではなく、政治参加を促す市民を創り出すための根拠だったのだ(むしろロールズは事後的な再配分強化は受動的な市民を作るだけだと批判的ですらあった)。要は、適度な社会・経済的平等をつくることで、第一の自由と第二の自由を構想し、政治に参加できる市民を創っていきたい、という願いをロールズは持っていたということだ。

 

日本の民主主義の歩みも、単に“選挙権が与えられた”という制度に注目されがちだが、実は違う。(議論はあるものの)敗戦による財閥解体と農地解放、公職追放等によって、社会・経済的格差が平準化され、参加と責任のシステムに国民が関与できる基層的水準が確保されるようになったことも我が国の戦後民主主義を担保する重要な要因であったのだという。

 

なぜならば、民主主義は制度を作っておしまい、ではない。①国民が主権者としてその意思を政治に反映させる仕組み(=制度)作りと②人々が主権者として自ら政治に参加し自分達の問題を自分達で解決するプロセスの双方を不断に結び付けていく作業こそが肝要だ。選挙権がある、選挙が行われる、それだけでは民主主義が実践されているとは言えない。だってギリシアでは選挙なんてなくても民主主義が成立していたでしょ?

 

ということで、多様性に基づく政治参加・意見の表出・合意形成万歳。 

【独り言】人生について考えた

ご多分に漏れず、自分が働いている会社もコロナの影響を受けている。

世間ではそれなりに名の知られている会社だが、売上は8割減だ。

ボーナス減。会社の命運はコロナ収束次第だ。つまり、自社では切り拓けない。

 

だから、自分で人生を切り拓いていく術を考えて実行に移していこうと思う。

業種的に会社の倒産・・・は無さそうだが、見切りをつけた自主退職に備えて。

 

自分には旦那がいる。自分は東南アジアの某国に駐在中。そして旦那は都内だ。

離れてても守るべき人がいる。というか、自分も旦那の存在によって守られている。

怠惰に陥りがちな自分が、それでも努力できる理由は彼の存在にある。感謝しかない。

 

 

人生を切り拓く。高校生の時から今に至るまで自分の悩みの中心にある。

昔から物事が長続きしない人間だった。だから、今でも特技と呼べるものはない。

それが故に自信が持てない。それが一層「一角の人間」になることへの思いを強めた。

 

ボーイスカウト、ピアノ、書道、水泳、卓球、吹奏楽、山登り、釣り、スキー…

小学校から高校でかじったものの、そのどれに対しても今、のめり込んではいない。

(今思うと英才教育に近いようなラインナップじゃあないか。両親には本当に感謝だ)

 

とにかく自信がないのだ。のめりこめないから。表層的なのだ。表層雪崩のように、

関心はガラっと他へ移る。理由は大抵「うまくならないから」だったと思う。

 

そういった経緯があったからか、人生を見つめなおす時間ができる大学生になり

一角の人間への憧れを強く持つようになった。でも、持つだけ。行動が伴わない。

自分は変われなかった。でも、いつの間にか「自分が日本や地元をこう変えたい」に

という思いが強くなっていった。自分の頭の回転や趣味趣向は変わらないから、

それなら働きかけの対象を変えるまでだ!そこに人生の意義を見出すんだ!と。

 

だから就職は、給与とかではなく理念で会社を選んだ。商社やマスコミ、外資でなく。

人生の切り拓く役目を、会社に託し共に歩むような気になっていた。でも間違い。

結局は会社に使われていた。そりゃそうだ。自分には処世術もオツムも欠けていた。

 

転職や海外駐在を経て今の会社に至るわけだが、人生を会社に託す、社会貢献を

会社の名のもとに行うというのは夢物語だ。自分の会社でも作らない限り不可能だ。

与えられた職務で最高のパフォーマンスを発揮しても、異動がくればハイさようなら。

 

だから人生を切り拓くのは、やっぱり会社とかではなく自分だ。

一角の人間になれないから、会社という組織の力を借りて夢に近づこうとしてた。

でも、会社に所属して10年強。会社は人生の乗り物であるが、自家用車ではない。

公共交通機関だ。目的地はある程度選べるが、自分で運転できない。そんなもんだ。

 

だから、もっかい小学生以来の自分の課題に向き合おうと思う。

自信のある自分、他人とは異なる自分、を常に希求していた自分に今戻りたい。

そして一角の人間になるんだ。そしたら、家族も、日本も、守れる人間になれる。

【書評】財政破綻後

コロナ禍の最悪期を徐々に脱しつつある世界を見て、本棚からふと取り出した。日本政府が給付する国民一律10万円をはじめとする経済対策の原資は借金なのだが、返済方法の議論が一向に始まらない日本への不安を増幅させるのにぴったりの一冊。

 

第一章 人口減少時代の政策決定

有権者の人口構成により、高齢者世代に優しく現役世代に厳しくなるインセンティブ

・投票行動はイデオロギーではなく、「所得」「都市と農村」「世代」が軸となる

・選挙での敗北を覚悟して高齢者を説得し痛みを受け入れる政治家はいないだろう

 

第二章 財政破綻時のトリアージ

・財政の持続可能性は、公的債務残高の対GDP比で安定的に抑えられるかにかかってる

財政破綻=インフレ率または名目金利が高騰する状態

財政破綻の前提は、国債への信頼が失われ買い手がつかなくなること

・ドーマー条件:成長率>金利なら基礎的財政収支が赤字でも財政は持続

・ヘリマネ:中央銀行が公債を引き受けて永久国債化すれば民間への借金は解消

・物価の財政理論:財政再建(=増税)しないことで民間消費・投資増、財政均衡

・日本国債パラドックス国債残高が増え続けているのに国債金利は低水準

パラドックスの支え手はバブル崩壊後行き場をなくした国内投資資金

・資金需要増、高齢化に伴う国内貯蓄取り崩し、で海外投資家頼みが始まるかも

・海外投資家は国債を安全資産とはみなしておらずリスクに見合った高い金利要求

・多額の借金残高→信用低下による金利上昇→利払コスト増=支出増→借金増→・・・

 

財政破綻は①日銀が買い支えられなくなる時②公的債務が国内金融資産を超過した時

国債発行額が家計金融資産の90%に達することが財政破綻の一つの有力なトリガー。

・その確率は2035年で99.9%。首都圏直下型地震発生の場合2025年で40%にも達する。

財政破綻は「国債の未達」という形で始まる。

・財政法第5条で国債の日銀引き受けは禁止されているが、危機に際し変更はありうる

・円の信認低下は円安となり輸出増を期待する向きもあるが産業構造変化に留意すべき

 

・財政危機時は①時間稼ぎ②緊縮財政=止血措置③財政再建のための構造改革

・①積立金の取り崩し、予算の執行停止、先送り

・②何を守り、何を切るか、の優先順位付け

・最善=財政危機回避を期待しつつ最悪の事態への備えを持つことが政府のリスクマネ

 

 第5章 長期の財政再構築

・①②を終え、市場が落ち着いてきたら速やかに構造改革

・マクロ的対策(歳出削減&増税)では歳出総額コントロール導入(独立財政機関)

・ミクロ的対策(歳出&税制の効率化)では赤字防ぐ構造改革PPP,PDCA,EBPM,国地方関係

痛みを伴う改革は公共財の自発的拠出に関わる主人のジレンマに陥る可能性高い

財政赤字を調整する政策変数の明確化(構造的赤字が○%=消費税増税、等)

 

・税制改革では「生産性効率命題」を基礎に増税と経済成長を両立させる方法を模索

・「再分配機能の確保」は社会的分断防止の観点からも重要

・資産課税強化と合わせた就労促進的セーフティネット拡充(マイナンバー必須)

 

第6章 経済成長と新しい社会契約

財政再建が先送りされ続けてきた理由は現在の有権者による財政再建コスト嫌悪

財政再建や温暖化対策のコストは現在世代が負担するがベネフィットは将来世代だ

・現在の民主主義は世代間協調問題に対して基本的に無力(将来世代の利益代表が不在)

・テールリスク(正規分布の端っこの方=テールのような確率の低い影響甚大なリスク)

財政破綻(=テールリスク)に備えた企業や家計が投資や消費を絞り低成長を演出

・仮説「高い経済成長を達成するためには財政再建が必要」は説得力のあるものだ

 

・財政や環境といった時間軸の長い問題は20世紀になって問題が顕在化してきた

・全ての関係者が同時点において存在し意思決定を行っているという前提が崩れている

・国家とは今/過去/将来を生きる人との間の合同事業である、とエドマンド・パーク。

・自分がどの世代に生まれるか分からない「無知のヴェール」で覆われた原初状態

財政再建先送り世代に生まれるか、財政破綻に苦労する世代に生まれるか分からない

・すると最も不利な世代に生まれた場合の効用最大化すべく世代間の所得移転を行う

・結果、ヴェールを被った原初状態では人は財政の持続性を維持することに合意する

・政府から独立した長期将来予測機関や世代間公平確保委員会、参議院の賢人会議化

・人は顔も知らぬ将来世代の為に今の生活を犠牲する「強い利他性」は持ってない

・しかし、家族や身近な人通じた将来世代への配慮など「弱い利他性」は持っている

・上述の委員会や将来省設置等はそれに働きかけることせ将来世代の代弁者となるのだ

 

感想

・コロナによる多額の借金はいずれ「痛み」を伴う危機として姿を現す可能性が高い

・コロナ対策による財政赤字膨張ち経済縮小は国債未達を誘発するのに十分な規模だ

・今を生き残ることができたのなら日本政府/国民はその危機への準備と覚悟が必要

・将来世代への負担の先送りをいつまでも行っていいのか?否、良いはずがない。

【書評】1984年

ジョージオーウェル1984年を読んだ。

 

今ある自由主義社会の前提を全てひっくりかえしたらこうなるのだろう。

自由、選挙、信用、プライバシー、友情、愛、性、歴史、経済、自然、未来…

こういったものが全て否定された時代のロンドンに生きる主人公ウィンストン。

 

彼は真理省Misintry of Trueに務める役人で、歴史の改竄が主な役目だ。

指導者であるビッグブラザーがチョコレートの配給量を30gから20gにしたときは、

元から20gだったように過去の発表を変え、戦争相手がユーラシアからイースタシアに

変われば過去の発表や戦闘地域等それに関する記録すべてをイースタシアに変えるのだ。

 

これをすんなり受け入れる思考が「二十思考」ダブルシンクであり、この矛盾を

受け入れるどころかいつの間にか矛盾自体が存在しなかったことにしてしまう。

 

反政府組織として噂のある「兄弟同盟」の同志と称するオブライエンと知り合うも、

全てが罠でエマニュエル・ゴールドスタインの禁書を読んでいる所を思想警察に捕まり

愛情省Ministry of Loveの中で拷問を受ける。そこにいたのはオブライエンその人。

彼は元より信頼や絆などなく、単にウィンストンを陥れようとしていただけだった。

 

間断なく続く拷問の末、ウィンストンは党にビッグブラザーに、忠誠を誓って終わる。

完全なバッドエンディングである。

 

 

読後感は、一言でいえば「恐怖」だ。強力な国家権力が国民を管理し、指導する。

中華人民共和国型の統治形態の行きつく先はきっとこういった社会だろう。

主人公は「やっていることは分かった。でも、なぜ?」とどうしてビッグブラザー

ニューススピークを用い国民の思想を縛り、ダブルシンクで過去の改竄を受け入れ

テレスクリーンで国民(職員)監視を行い、大衆を無知のまま放置しておくのか疑問を投げた。

 

答えは権力欲。中国共産党だって同じだ。党の無謬性。党への批判は容認されない。

方法こそ違えど、このオセアニアが行っている方向はまさに中国が現在行っていることだ。

唯一違うのは、大衆を富ませようとしている点。1984年では、過去や他国との比較が

ないので大衆は現在を不満に思うことがない。完全に歴史や外界と隔絶されている。

今の中国は、無謬性を担保するため国民を富ませている。しかし、手法は違えど

目的としている所は同じだ。共産党が権力を維持し続ける事。この本は、中国への

恐怖を植え付けるに十分な本である。大陸ではきっと発禁処分になっているだろう。

 

話がそれた。もう一つ、話をそらそうと思う。

増加するコロナ感染者対策の一環として日本政府は緊急事態宣言を発表している。

それに対し、インフル特措法は強制力がないからダメだという批判が出ている。

思い返してほしい。日本は戦争に対する自己批判から、公共の福祉の名のもとに

私権を制限するような法律を極力作らずにここまで歩んできていることを。

ましてや、インフル特措法は民主党が法制化したもの。「遅きに失した」の批判は

あっても、「内容が不十分」はないだろう。中央大学の野村修也先生は

 

「有事での国権の発動を敵視し、民主的統制を求め続けた人が、公衆衛生上の危機を前に、政府はもっと強権的な命令を出せないのかとか手続きに時間がかかりすぎだなどと文句を言っているのを見ると、これが皆さんの理想の仕組みだったのではないかと皮肉りたくなる。今こそ自主自立を唱えてほしい」

 

という。その通りなのだ。有事での国権の発動、平時の国民生活・経済への干渉、

これを戦後の日本社会はそれをとかく避けて権力の暴走に歯止めをかけようとしてきた。

これは国家権力によらなくても、国民の規律や自己判断が安全保障や公衆衛生上の危機

から国民を救うことができるとの前提に立っていたからだ。今こそ、それを信じよう。

 

もしそれができない、ということが分かったらその時は日本の法律や憲法を通底する

根本理念をごそっと変えるときがきたということなのかもしれない。つまりは、

1984年型の管理型・監視型・国家強権型社会へ向かうのか、戦後日本を支えてきた

私権尊重の社会を今後も維持するのか、の境目だ。国民の資質が問われている。

【書評】嫌われる勇気

■ポイント

①課題の分離

・自らの生について、自分ができるのは「自分の信じる最善の道を選ぶこと」。

・その選択に対し他者がどのような評価するかは他者の課題であって自分ではどうしようもできない。

・これだけ頑張っているのだから評価されるべきだ。こんなに尽くしているのだから、もっと好きになるべきだ。これは相手の課題に介入しようとする自己中心的な、見返りを求める発想だ。課題の分離ができていない。

・相手が変わることを期待するな。他人が自分のことを嫌う。こんな時、やるべきは、対人関係のカードは自分が持っていることの認識、そして承認欲求の放棄。

・自分が関係を良くしたいと思えば、それを試みればよい。結果がどうなったとしても気にするな。だって結果が最重要だったら結局他者を操作することが目的になってしまうでしょ。

 

 

②嫌われる=自分は自由!

・自由とはだれかに嫌われること。それが、自由を行使している証左。

・自由を行使することには代償(他者評価)を伴う。

・他者から嫌われることを厭わず、承認されないかもしれないという代償を払わなければ自分の生き方を貫くことはできない。だから嫌われることを恐れるな。

 

③共同体意識

・他者からどう思われているかばかりを気にかけることこそ、自己中心的な発想&生き方だ

・何をしてもらえるか(見返りがもらえるか)ではなく、何を与えられるか、を考える。

・人間はだれしも共同体の中で生きている。引きこもりの人間ですら、その衣食は生産者や物流チェーン、そして彼彼女を養う家族といった共同体がある。

・関係が壊れることだけを恐れて生きるのは、他者のために生きる不自由な生き方である。

・引きこもりのすべて理由は人間関係。ある共同体に居場所をもてなくなった人が、そうなる。でも、共同体は一つではない。もっと大きな共同体から見れば、そこでの諍いことなど小さなもの。嫌なら抜ければよい。

・なぜ他人からの評価を目的するのが不自由かというと、評価・褒められるということには「上下関係」が埋め込まれており、その背後には他者への操作、縦への関係が目的としてあるから。

・本来人間は同じではないけど対等であるべきだ

・経済的に優位かどうか、ダンス講師とトヨタの社長は働いている場所が違うだけで人間的価値には全く関係ない。「同じではないけど対等」なのだ。

・自己への執着を他人への関心に切り替え、共同体感覚を持つ。

・何かをあたえる存在になる。

・自己肯定ではなく自己受容(いまの自分で良いんんだ)。100点満点の完璧な人はいない。人はだれしも向上したいと思う状況にいる。

・変えられるものと変えられないものを区別するのは課題の分離と同じ。変えられない部分は自己受容せよ。そうでない部分は、勇気をもって変えよう。

・ここにいても良いんだ、という共同体意識を持つには、他者を仲間だとみなす必要がある。他者を仲間とみなすためには、自己受容と他者信頼の両方の基礎の上に、「他者貢献」という行動が必要。

・他者貢献を経て、人間は自分の価値を実感することができる。

・幸福とは他者への貢献感。

 

■感想

・人を大物とか小物って線引きしてしまったり、好かれたい!という感情が全面に出てしまったりすることがある。社内や社外の人と仕事していて委縮してしまうときもある。それって、「自分がどう評価されるか」ばかりに意識が向いてるからなのでは?と思った。「自分のこと面白いやつだと思ってほしい」「嫌われたくないから逆鱗には触れたくない」「評価されたい」が目的になってしまってる感じ。仕事を全うすることが目的になってないの。それって、自分の仕事に本気になれてないことの証拠だよね。本来はそっちが先で、評価は後でついてくるもの。気に入られようとすべきでない。