38歳ゲイリーマンのサバイバル

この記録がいつか自分自身の・誰かの道標になりますように

【書評】1984年

ジョージオーウェル1984年を読んだ。

 

今ある自由主義社会の前提を全てひっくりかえしたらこうなるのだろう。

自由、選挙、信用、プライバシー、友情、愛、性、歴史、経済、自然、未来…

こういったものが全て否定された時代のロンドンに生きる主人公ウィンストン。

 

彼は真理省Misintry of Trueに務める役人で、歴史の改竄が主な役目だ。

指導者であるビッグブラザーがチョコレートの配給量を30gから20gにしたときは、

元から20gだったように過去の発表を変え、戦争相手がユーラシアからイースタシアに

変われば過去の発表や戦闘地域等それに関する記録すべてをイースタシアに変えるのだ。

 

これをすんなり受け入れる思考が「二十思考」ダブルシンクであり、この矛盾を

受け入れるどころかいつの間にか矛盾自体が存在しなかったことにしてしまう。

 

反政府組織として噂のある「兄弟同盟」の同志と称するオブライエンと知り合うも、

全てが罠でエマニュエル・ゴールドスタインの禁書を読んでいる所を思想警察に捕まり

愛情省Ministry of Loveの中で拷問を受ける。そこにいたのはオブライエンその人。

彼は元より信頼や絆などなく、単にウィンストンを陥れようとしていただけだった。

 

間断なく続く拷問の末、ウィンストンは党にビッグブラザーに、忠誠を誓って終わる。

完全なバッドエンディングである。

 

 

読後感は、一言でいえば「恐怖」だ。強力な国家権力が国民を管理し、指導する。

中華人民共和国型の統治形態の行きつく先はきっとこういった社会だろう。

主人公は「やっていることは分かった。でも、なぜ?」とどうしてビッグブラザー

ニューススピークを用い国民の思想を縛り、ダブルシンクで過去の改竄を受け入れ

テレスクリーンで国民(職員)監視を行い、大衆を無知のまま放置しておくのか疑問を投げた。

 

答えは権力欲。中国共産党だって同じだ。党の無謬性。党への批判は容認されない。

方法こそ違えど、このオセアニアが行っている方向はまさに中国が現在行っていることだ。

唯一違うのは、大衆を富ませようとしている点。1984年では、過去や他国との比較が

ないので大衆は現在を不満に思うことがない。完全に歴史や外界と隔絶されている。

今の中国は、無謬性を担保するため国民を富ませている。しかし、手法は違えど

目的としている所は同じだ。共産党が権力を維持し続ける事。この本は、中国への

恐怖を植え付けるに十分な本である。大陸ではきっと発禁処分になっているだろう。

 

話がそれた。もう一つ、話をそらそうと思う。

増加するコロナ感染者対策の一環として日本政府は緊急事態宣言を発表している。

それに対し、インフル特措法は強制力がないからダメだという批判が出ている。

思い返してほしい。日本は戦争に対する自己批判から、公共の福祉の名のもとに

私権を制限するような法律を極力作らずにここまで歩んできていることを。

ましてや、インフル特措法は民主党が法制化したもの。「遅きに失した」の批判は

あっても、「内容が不十分」はないだろう。中央大学の野村修也先生は

 

「有事での国権の発動を敵視し、民主的統制を求め続けた人が、公衆衛生上の危機を前に、政府はもっと強権的な命令を出せないのかとか手続きに時間がかかりすぎだなどと文句を言っているのを見ると、これが皆さんの理想の仕組みだったのではないかと皮肉りたくなる。今こそ自主自立を唱えてほしい」

 

という。その通りなのだ。有事での国権の発動、平時の国民生活・経済への干渉、

これを戦後の日本社会はそれをとかく避けて権力の暴走に歯止めをかけようとしてきた。

これは国家権力によらなくても、国民の規律や自己判断が安全保障や公衆衛生上の危機

から国民を救うことができるとの前提に立っていたからだ。今こそ、それを信じよう。

 

もしそれができない、ということが分かったらその時は日本の法律や憲法を通底する

根本理念をごそっと変えるときがきたということなのかもしれない。つまりは、

1984年型の管理型・監視型・国家強権型社会へ向かうのか、戦後日本を支えてきた

私権尊重の社会を今後も維持するのか、の境目だ。国民の資質が問われている。