38歳ゲイリーマンのサバイバル

この記録がいつか自分自身の・誰かの道標になりますように

【書評】となりのイスラム

ずっと前に買って何度か読んで頭に残っていなかった本の再読だ。

 

■要点

・第二次大戦後、欧州に入ってきたイスラム教徒がイスラム回帰を強めた背景は国によって異なる。ドイツはドイツ人との見えない壁による疎外感、オランダは極限の自由奔放憂さによる道徳欠如危機意識、フランスはライシテと呼ばれる独特の世俗主義への反抗心、これらがイスラム回帰を促した。

 

・フランスにおけるライシテは公の領域への信仰持ち出しを禁ずるもので、スカーフ(ブルカ)着用禁止もその延長戦上にあるが、スカーフはイスラム教徒が「恥ずかしい」から髪を隠すのである。これを着用禁止するということは、裸になれと言っているようなものであり、セクハラである。信仰というのであれば、イスラム教徒男性の髭はなぜ許されるのか。それはきっとイスラム教徒以外でも生やすものだから。それってダブルスタンダードでは?

 

イスラム教では「助ける」という善行は天国に近づくための日々の行い。キリスト教のように神父が神と人間との橋渡しをするようなことはない。神(アッラー)と人間とは直接結ばれている。

 

コーランに書いてあることは絶対である。飲酒=むち打ち、既婚者の姦通は投石による死刑、と書いてあるのだからそれはもうアッラーの大権であり国家が量刑を変更することはできない。法律を超越して絶対不可変なのである。

 

・これらコーラーンに載っていることを全て忠実に国家の法律に反映させ、政府の人間がそれを忠実に守っている国があるとすれば、それがイスラム国家である。しかし、現実的にはそんな国はどこにもない。

 

・同性愛は禁じられている。同性愛者の信徒への生きづらさは否めない。しかし、だからといって他宗教の同性愛者を殺害するなどイスラム教徒としては言語道断であり、そのようなことは認めていない。

ハラールビジネスは胡散臭い。そもそも、ハラール認証などなくとも、「◎◎を使っています」と正直に書けば十分。認証にお金がかかるもんだから、お店の看板にハラールのマークを掲げる所も増えているが、そうすると店全体がハラール仕様になっていなくてはいけない。お酒の提供もだめ。

 

■感想

・ブルカのくだりは西欧の世俗主義(政教分離)とイスラムのそれとが折り合いを付けられていないことを示す好事例だと思った。フランス革命で教会権力を政治から排除した背景から、同国では宗教を政治に介入させないという建前を取った。しかし、イスラムにおいては教会権力というべき教会が存在しないというのだ。モスクは?というと、モスクは単なる「場所」であり権力は所在しないという。司祭とかもいない。なるほど。これには驚いた。てっきりキリスト教の教会=イスラム教のモスクかと思っていたからだ。確かに、エディンバラ大学の向いのモスクは、人こそたくさんいたけれど、権力者のような人はいなかった。ムスリム=イスラムする人、というだけあって毎日の行為全てがイスラム教なわけだ。だからブルカもつける。だから日常生活からイスラム要素を取るのは不可能だ。ブルカは髪やうなじを見せるのが恥ずかしいから付けるもの。それを取れというのは、イスラム教徒であることをやめろ(その感覚を捨てろ)と言っているようなもの。人権侵害じゃないか。この本を読んですっかりそう思ってしまった。